#さだまさし

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  • Опубликовано: 14 окт 2024
  • さだまさしの母、佐田喜代子さんの本を読みました。薄暗い当時の日本と華やかな中国租界の対比が興味深く、まさし氏の小学校1年生の時の絵日記なども面白い本でした。

Комментарии • 12

  • @堀部孝子-h5g
    @堀部孝子-h5g 6 месяцев назад +6

    赤く染まった 富士山は心に残ります、何時までも忘れません❤

    • @コーデリア-h9r
      @コーデリア-h9r  6 месяцев назад +2

      コメントありがとうございます。この3シーン、全てiPhoneで撮影したもので、写真を撮りに行くのにカメラを持たなくなった事に自分でも驚いています。あまり寒いと電源が落ちてしまうのが玉にきず。

  • @chiroru-16
    @chiroru-16 3 месяца назад +4

    自分なりのさだまさしベストを作るとしたら必ず選曲する一曲です。下手な映画を何本見るよりも胸に来るものがあります。見たことのないはずの風景、経験したことがないはずの厳しい時代の歌であるのに、悲しみを乗り越えて懐かしく思い起こすような感覚にさえなります。

    • @コーデリア-h9r
      @コーデリア-h9r  3 месяца назад

      特にこの日は気合が乗っていて、「つゆのあとさき」も良かったですね。漢口の租界は国際都市の華やかさ、連合国の暮らしも入り混じる不思議な世界。戦時にこんな所があったのかと、私もこの歌を聴かなければ知らない世界でした。「火垂るの墓」の数ヶ月前の出来事だったのでしょう。死んだ親父が「火垂るの墓は妹を思い出して見れない」と言ってました。数年前墓参りをした時、石盤に「節子 四才」と掘られているのを見るまで、名前が同じだったのは知りませんでした。

  • @智世藤間
    @智世藤間 5 месяцев назад +5

    こんばんは。さだまさしさんの歌はとても素敵ですね❗何年か前に愛した大切な男性を亡くしました。彼の優しさに守られていた事を今も忘れられずにいます。会いたい、もう一度逢って、心の全てを話したい。この曲は今の自分にとって大切な曲です。因みに恋人は事故死でした。大切な思い出の一曲です。素敵な楽曲のアップ有り難うございます。早く彼の元に行こうと思います。

    • @コーデリア-h9r
      @コーデリア-h9r  5 месяцев назад +3

      人生を豊かにする物は想い出だと考えています。彼がしたかったであろう事を想像してあなたが体験し、彼の元に行った時に話せたらいいですね。

    • @猪爪徹也
      @猪爪徹也 5 месяцев назад +3

      彼の為にも長生きして下さい。この彼女所も頑張って生きてます。

    • @田中宏光-q7b
      @田中宏光-q7b 3 месяца назад +1

      さださんのこの歌はまるで映画のシーンのように胸に響いてます。とても綺麗なワンシーンのような歌だと思います。

  • @ayanoneriuni2404
    @ayanoneriuni2404 5 месяцев назад +5

    この曲、氏の作品の中でも屈指の名曲だと思います。風に立つライオンも映画になったしこちらもどうかなぁ……
    ソフィアの鐘は連ドラでw

    • @コーデリア-h9r
      @コーデリア-h9r  5 месяцев назад +3

      50年前の歌なのになぜ古くならないんでしょうね。もうすぐ還暦の私が子供の頃の歌なのに。

  • @三浦安正-p9h
    @三浦安正-p9h 3 месяца назад +1

    1980年東大寺コンサートの日は今までの人生の記憶で最も悔やまれる日だった。いまだに家からわずか30分でさだまさしのコンサート
    に行ける日だった。が行けなかった。11月3日に放送があったのだが。その放送で「フレディもしくは三教街」が流れた。かねてから友人に聞いていた「フレディもしくは三教街」だった。
    なんとその曲は、これまで何度も自分の人生の場面で意図せずに流れてくる。毎年8月終戦記念日、度重なる世界での戦争、今現在も停戦に至っていない現実。フレディのような人が報道されないまま増えていっているのかと。
    そんな人が現実にいることをこの素敵な曲で感じながら、日々巡り合う大切な人とともに感謝しています。

    • @コーデリア-h9r
      @コーデリア-h9r  3 месяца назад +1

      先の大戦が無ければ、今自分の周りの人たちの顔ぶれも少し違っているのかも知れません。私の街にはかつて、「陸軍少年戦車兵学校」という少年を戦車兵に育てる機関があり、この学校の跡地にある若獅子神社には戦没した学校の教官と生徒が祀られています。大勢の名前が刻まれた巨大な石盤には600名余りの名が刻まれており、サイパン玉砕戦から生還した方の手記に登場する戦車兵の名もこの石盤に見ました。人間は万物の霊長なんかじゃない。戦争のニュースを見る度にそう思います。